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4月27日

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清水和音氏のピアノコンサートに行ってきました。いつもながらベートーヴェンのピアノソナタ32番を含むプログラムだったからです。

清水氏のことは存じていました。氏はもう30年くらい前、私が高校生くらいの頃だったと思いますが、

NHK−FMのクラシックリクエストという番組に数年間出演されていて、その歯に衣を着せぬ物言いに驚きつつも、

当時まだ若かった私にとって、クラシックをただ有難がって聴くだけじゃないことを教えてもらった感があり、親しみをもっていました。

 

しかし、それから30年近く経って私なりにベートヴェンの32番に対する見解が形を成してきてから聴いた清水氏のCD録音の演奏は、

私にとってあまり好ましいものではありませんでした。私の彼の32番の録音CD評は

前半のしっとりとした歌いまわし、前後半の推進力、重視の力技。中盤の弱音部になると、音を抑えるだけの平板な表現で、音楽も弱くなる。

多彩な表現力を感じるが、今一つ音楽の方向性が見えない。後半はドラマティックに弾いてるが、力技が耳につく。」

という否定的なものでしたが、今回は、氏の32番の実演が聴けるので、その辺りの真偽を確かめたいと思っていました。

 

氏の実演を聴くのは2度目です。一度目は6年くらい前の大晦日、15人のピアニストが集まりベートヴェンのソナタ全曲演奏をする、という時でした。

その時の清水氏の担当は、いわゆる中期3大ソナタの「ワルトシュタイン」と「熱情」だったと思います。(正確にはよく覚えていません・・)

ただ、コメントで「いやぁ僕、こんなに簡単なの(選曲)で(他のピアニストに)申し訳ないなぁ」とかいうものだったのを覚えています。

魅力的に演奏するには工夫が必要な初期・後期ソナタではなく、曲自体がメリハリに富み、力強く弾けば魅力が出るので簡単、という

意味だったと思いますが、なんだか尊大な人だなぁ、という思いを強くしました。

 

ただあの時、この選曲は正しかったと思います。15人のピアニスト用に2〜3台の異なるピアノが用意されていましたが、それでも同じピアノを

異なるピアニストが次々に弾いていくので、タッチや音量などの違いがよくわかりました。

清水氏のピアノの音量は15人の中でも最大で、(それだけフォルテの打鍵が強い)私のなかではまるでピアノが競走馬ように見えました。

競馬で最終コーナーをまわってゴールラインまで鞭打たれて必死に走る競走馬のようにピアノが見えたのです。

ただ、この力技を含む氏の演奏は、ベートヴェンの中期3大ソナタの演奏には、迫力を増す効果があり、合っていたと思います。

 

今回は、いつも以上に長い前置きとなり申し訳ありませんが、そういう私が聴いた氏の31・32番は予想したとおりの印象に感じました。

 

〜演奏会後のメモより〜

『 橋本雅邦の絵を思い出した。技術的にはとても上手だが、その絵の中に入りこめない。

作家が本当にその内容を愛して心を込めて創作しているとはどこか思えない。

「これは、こうやれば立派に聴こえるだろう?」と、どこかで思いながら演奏しているように思えてならないのだ。

CDや数年前のコンサートで感じたフォルテで曲を締めるクセはやはり健在で、曲の組み立てはともかく、雰囲気の醸成にはそぐわないところで

フォルテ締めがたびたび入ることで、曲の流れが遮られ、というより、遮られても構わない、という姿勢があると感じた。

アンドラーシュ・シフは、31番のフーガ(3楽章)は「讃美歌そのものだ」と言っていたが、清水氏のフーガからは「歌」が感じられなかった。

32番のアリエッタも同様に。

アリエッタの展開自体は比較的丁寧に演奏してくれたと感じるが、やはり「歌」がなく、曲が醸し出す雰囲気にはあまり気を留めていない感じで

曲に入りこめず、32番の(私にとっての)名演奏を聴くと感じられる高揚感は全く感じられなかった。

技術的にはちゃんと弾いていると思われるのだが、魅力の感じられない演奏だった。

 

後半の「展覧会の絵」のほうが清水氏には合っていた。

いわゆる競走馬のようにピアノに鞭打つ演奏が聴けたし、この曲のそれぞれの絵の表現には多かれ少なかれ批判や皮肉も含まれており、

そうしたスタンスも清水氏の毒舌によく似合っているのだろうと思った。

彼には32番アリエッタの、祈りのような、柔らかい暖かさのような雰囲気を醸成する音楽には向いていない、と私は断言してしまおう。

 

高度な表現技術を獲得した者は、その技術が高くなればなるほど自分の心(関心)の在り処が露呈されることを自覚すべきだ。

なまじ、表現しようと思えば表現できる筈の技術があるために、創作されたものにその“気持ち”が含まれていなければ、

創作者に、そのことへの関心の無いことがさらけけ出されてしまうと思う。

 

私は創作において、自分が本心から興味を抱いていない対象に、手を出すべきではない、と思っている。 』

 

後日談:帰ってきてからピョートル・アンデルジェフスキのCD(カーネーギーホールでのライブ盤)でベートーヴェンのソナタ31番のフーガを聴いた。

つい耳を傾けずにはいられない深い魅力をたたえた演奏で、言葉もなく、ただ素晴らしかった。

味わい深く、しっとりとした歌があり、聴けて良かったと素直に思える。やはり芸術の良さとは、こういうものだよね。